きょうは恩人のお通夜に行った。
故・内田勝さん(享年73歳)元週刊少年マガジン編集長で、「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」などのヒット作を送り出した名編集者だ。
内田さんと出会ったのは、2001年だった。
2000年に書いた初著
『本屋はサイコー!』を読んでくれた内田さんがわざわざボクに会いにきてくれたのだ。
その後2002年に会社を辞めて無職だったボクを、ソニーの電子書籍プロジェクトに誘ってくれたのも、内田さんだった。
それからは、たびあるごとにお酒を飲みながら、仕事を中心とした楽しい話をたくさん聴かせてくれた。
マンネリや権威を嫌い、常に新しい切り口の面白い仕事を仕掛けていくのがモットーの彼の話はいつもボクをワクワクさせてくれた。
これまでボクは出版業界に長くいたが、出版社・取次・書店などで役員をしているような先輩世代の人が実はあまり好きでなかった。
なぜなら目の前でパラダイムシフトが起きて出版が危機に瀕しているというのに、その人たちは「過去の栄光」ばかりにしがみついて、何も改革しようとしないからだった。
でも、内田さんは違った。
新しいメディアの動きや読者マインドの情報にどん欲で、しかも失敗を恐れずにアイデアを形にしていく。そしてそうしたニューウェーブを活字文化の復興に繋げようと、常にアタマの中でグルグルと思考を巡らせていたのだ。
そして、いいアイデアが浮かぶと、
「安藤クン!ちょっと会わないか?」
と、いつも声をかけてくれたのだ。
そんな、根っからの編集者だった。
そして人と人を結びつける編集力にも長けていた。
2年前にFJのプランを内田さんに話したら、
「それなら面白い男がいるよ」と、現在FJの理事をやってもらっている、ソニーデジタルエンタテインメント社長の
福田淳さんを紹介してくれたのだった。
福田パパとは会ってすぐに意気投合。
お互いを「隣町の不良」と呼び合う仲になり、FJのスタッフになってもらったり、ボクが彼の著書に登場したりというコラボレーションに発展した。
きょうのお通夜では、福田さんが葬儀副委員長だった。
内田さんご逝去後、悲しみに暮れるヒマもなく、ご遺族と相談しながら「内田さんらしい葬儀」を福田さんがプロデュースしてきたことは、斎場に行ってみてよく分かった。
ご焼香後、お清め所で目が充血した福田さんと会う。
「こんなにたくさんの多彩な人が来てる。内田さんの葬儀らしいよ」
と声をかけると、彼も満足そうに頷いた。
それから20〜30分。ビールを飲みながら内田さんの思い出話に耽けた。
「内田さんは、チャレンジする人が好きだったね」
「うん、そんな物好きなボクらをこうして出会わせて、化学反応をきっと楽しんでたんだよ」
「まったくもって、カッコいい編集者だったね」
内田さんは、1冊だけ
『奇の発想』という本を遺してるが、あちこちに書き溜めたものがあるらしく、福田さんは「落ち着いたらそれを整理して発表したいんだよね」とプランを話していた。
それはボクも読みたいなあ、と思う。
名編集者は名コラムニストだと教えてくれたのも、内田さんだったからだ。
そして、内田さんの子育てについて。
以前は出版仕事の話がメインだったが、ボクがFJを始めてから内田さんは会うと必ず自分の子育ての話をしてくれた。
で、きょうのお通夜で、お会いしたことがなかった3人の息子さんと、話すときに目が細くなってたお孫さんに会い、彼らのその表情が哀しみを湛えながらも皆さん柔和で、人なつっこい内田さんによく似ていたのを見て、
「ああ、やっぱり内田さんはファザーリングしていたんだな」
と痛感したのだった。
偉大なる編集者、そして先輩パパの内田さん。
あなたに出会えてボクはラッキーでした。あとはボクらに任せて、ゆっくり休んでください。
本当にいろいろ教えてもらい、ありがとうございましたTT。合掌。
posted by 安藤パパ at 23:42| 東京

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